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高森明勅
2015.11.27 08:41

60年安保改定の「真意」

昭和35年(1960年)の日米安保条約の改定。

そこには意外な“狙い”が秘められていた。

安保条約の「終了」についての規定の変更に注目すると、
そのことが見えてくる。

旧安保条約では、日米両国が揃って“もはや必要なし”
と認めた場合に
だけ、効力を失うとされていた(第4条)。

これでは、アメリカが同意しなければ、
旧安保条約は永遠に維持されてしまう。

それは「敗戦国」体制(戦後レジーム)の永遠の固定化以外の
何ものでもあるまい。

それを改定によって、条約内容自体の一定の改善と共に、
10年過ぎた後は、どちらか一方が終了の意思を通告すれば、
1年で効力を失う(第10条)と変更した。

これは何を意味するか。

当時は冷戦の真っ只中。

その頃のアメリカにとって日本は、東アジアの重要な
反共の前線基地」だった。

アメリカ側から安保条約の終了を通告して来ることは、
殆ど想定し難い状況。

しかも、この変更は日本側からの要請による。

ということは、この時、日本政府は、次のような将来を
構想していたのでは。

10年かけて、
安保条約を解消し得る国内的及び国際的条件を
着実に整える(
当然、憲法改正も含む)。

その上で、アメリカからの(円満な)「自立」を実現する、と。

少なくとも、その可能性だけは確保しておこうと図った、
と考えるのが自然だろう。

その10年後に起きたのが、日本の自立の為に「憲法改正」を訴えた
三島事件。

そこで、三島由紀夫は「あと2年の内に自主性を回復せねば」
呼び掛けていた。

安保条約改定の真の意図が、果たされなかったからこその叫びだった。

それから早くも、45年。

冷戦はとっくに終わり、アメリカにとって日本の「値打ち」は
大幅に下落。

アメリカ自体、かつての勢威はもはや喪われた。

これは、わが国が自立を目指す好機とも言える。

にも拘らず、日本は懸命にアメリカにしがみつき、
自立への道を自ら遠ざけようとしている、ようにしか見えない。

どこまで「敗戦国」のままでいたいのか。

今から55年前、安保条約改定で「終了」のフリーバンドを
手に入れた意味を、
深刻に振り返るべきだ。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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